昨日たまたま、まだバテていない前半の時間帯のオシムジャパンの初陣を見やんですが、メンツも違うということもあったんでしょうが、見てて楽しいというか、これから強くなりそうだなー、と感じました。
引退した中田英寿は、オシムジャパンのサッカースタイルについてどう感じているのか?というのも聞いてみたいところですね。
それはさておき、タイトルにあるように「考えながら走る」こととはどういうことなのか?というと、今の日本全体にもこのことが当てはまるんじゃないか?ということです。
今の日本の状態は、考えないし走らないという最悪な状態にあると言えるのですが、日本の社会がそういうものだから、本来考えながら走る生き物の若者まで同じようになってしまっています。
基本的に、兄やんのようにサッカーからこういった日本社会の構造として連想して考えようとする人が少なく、ものごとを直線的にしか見ようとしない人が非常に多いと感じます。
これは、何も兄やんが特別な能力を持っているからそうやって連想してできるわけではなく、普段から「何かないかな~?」と考えながら生活しているからよくこういうことを思いつくだけです。
ものごとには、意外なところでのつながりがあるものなのですが、そういったつながりを無駄なものと思っているのか、直線的なものの見方ができない人が非常に多く、そういう人は普段から考えて行動しないのです。
今回のワールドカップをみていてもそうなんですが、全体的に臨機応変さがないというか、ひとつのやり方に固執しているのか、想定外のことが起きた時には対応できない、というのが日本の社会と酷似しているように感じました。
直線的なものの考え方しかできない人の中には、新しい提案が上がったとしても、自分が偉い人間だと位置づけたいのか、いかにその案が未熟でそれだけではとても使えないということを、一生懸命皮肉を込めて言う人もいます。
そうやって、提案してもその提案を活かすどころか、殺す方向にしかもっていかない社会に若者は失望し、やる気をなくしたり、その考え方に毒されてしまうという悪循環を辿ってしまうのです。
さらにタチの悪いことに、その提案を殺す理由の中には、自分たちの既得権益を侵す恐れがあるからとか、自分たちよりも早く出世するのが嫌だから、というエゴ以外の何ものでもない、考え方しかないのです。
そこに、建設的にものごとを考える、という考え方は一切なく、自分さえよければ良いという身勝手な考え方が見え隠れしていて、よく批判される若者の悪い部分のお手本を示しているということができます。
議員などを含めた政治家の多くも、議論の中で建設的に新しく何か考えようとしているわけでもなく、相手側の意見をいかにこきおろすか?ということばかに一生懸命になっていて、見るに耐えない幼稚な姿ばかりをさらけ出しています。
実社会でも似たような経験をして、社会に対して幻滅しているような人たちが、国民の代表である議員がそんなことをしているという愚行を見てしまえば、政治というものに関心がなくなるどころか、あきれ果ててしまうわけです。
こういった現状があるのに、政治家の多くは、そういった現状を理解しようともせず、自分たちの都合よくことをすすめるようマスコミにアピールして、マスコミはマスコミで言いなりのように国民を扇動しているのです。
若者に関して言えば、こういった社会の現状があるからこそ、一生懸命取り組もうとしない、タイトルに当てはめれば、「走る」ことをしないわけです。
何で走らないか?
それは、大人たちがそこまで走っているように見えないからで、「別に走らなくても大丈夫だろう」というまさにウサギとカメでいうウサギの状態になっている大人の姿を若者が自然と真似しているからに過ぎません。
そして、そうやって「考えながら走る」ことどころか、「考えること」も「走ること」をせずに怠け続けた結果、世界経済に取り残され始め、それを認めて次のステップに行こうとしないせいで、定年が近づいてきてから、若い頃以上に一生懸命働くハメになるのです。
そして、そうやって自分たちが一生懸命働くようになってからも、考え方をステップアップしないまま、若者に注意をするから、「はぁ?何を的外れなこと言ってんだ?」というような反応のひとつでもある、ニートがどんどん増え続けているのです。
サッカーでもそうですが、考えもせずにただ走っているだけでは、無駄にしんどいだけで、若者はそれを分かっているため走ることだけを強要する大人たちの意見には賛同できないのです。
かといって、考えるだけで何もしない状態というのも、見ている分には何もしていないように見えるので、大人たちが批判したくなる気持ちも分からないではないです。
どっちもどっちと言えばそれまでかもしれませんが、大人たちがまず考えながら走る見本を見せてあげれば、さらにそこに若者を失望するエゴを排除してあげれば、若者たちも一緒になって、考えながら走ってくれるのではないでしょうか?