「んなもん酒飲まんな、やってられへんわ!」
甘いものが嫌いだったハズの兄やん(当時)は、仕事が終わると、まずコンビニへチョコレートとビールを買いに行くのが習慣化していた。
兄やんは中学・高校から酒を飲んでいたが、中学の時はおいといて、高校に入り、趣味でカクテルをするようになってからは、お酒はその『場』を含めた味をいかに楽しむか?ということをモットーにして飲んでいたので、こういう酒は嫌いだったし、こういう飲み方はしたことがなかった。
その日も仕事が終わり、一人寮を出て、コンビニに向かっていた。 相変わらず辺りは暗く、開いている店も限られているような時間帯だった。仕事が終わるのが、基本的に23時~3時の間じゃ無理もないだろう。
仕事を始めた当初は、同じ部屋の同期の奴や、同じ寮にいる先輩たちと一緒に買い物に出かけてたりしていた兄やんだが、次第に、一人にならないと気が狂って、先輩にも同期の奴にも殴りかかってしまいそうなくらい、精神的に追い込まれていった。
その仕事を始めて一ヶ月もすると、『彼ら』と一緒に行動することはなくなり、仕事以外の時間はできるだけ避けるようにして、寮に帰る時も、入り口や裏口以外から、誰にも見つからないように、こっそりと泥棒のように寮に帰るようになっていた。
仕事を始めてスグ、足首が関節炎になり、パンパンに腫れていたのにも関わらず、いつも通り17~18時間働かせられ、足を引きずりながら仕事をしていた、という時もあった。
そもそも兄やんは、1人暮らしをしても自分で料理ができるように、その延長線上で料理も出せるバーを経営するために、学校でそのための基礎的なことを勉強することが主体で始めたのに、この労働環境のせいで、一番最初の授業から、全く何一つ聞けない状態になってしまっていた。
話を聞きたいのに、座ってじっとするような楽な姿勢でいること自体が、寝る時くらいしかなかったせいか、座って少しすると、自分の意志とは裏腹に、記憶がなくなっていて、そのこと+授業料等が無駄になっている(手取り月13万の中から月5万払っていた)ことに対しても、ストレスは積み重なっていった。
仕事を始める前は、このホテルで10年ほど勉強して、金も貯めるつもりでいた。学校にいる間の2年は、ホテル側から授業料を2万円分負担してもらっているという状態で、手取りからさらに授業料月5万円兄やんが払うことになっていたので、卒業後も寮にいれば、かなりお金も貯まるだろうと考えていた。
しかし、いろいろな理不尽な労働形態やストレスが重なり、3日も経たないうちに、学校にいる間の2年でいいわ、と思うようになり、学校が始まって1週間もすると、もうすぐにでも辞めたい心理状態になっていた。
本来なら、出勤時間は朝6時と9時からの交代制で、終わるのはだいたい23時~3時だった。しかも、兄やんは職業訓練校に通っていたため、学校に行っている間は仕事をしていない、という理由で、毎朝6時出勤を強いられた。
6時出勤と言っても早く来る先輩もいるため、その人よりも早く出勤しなくてはならなかったので、実際出勤する時間はもっと早かった。
そんなこんなで、早番と遅番の関係上、寝る時間や風呂に入る時間、出勤の準備を除いて3時間しかない日もあり、全く眠れない日もあったので、風呂も入らず、そのまま調理場で仮眠をとって仕事をしているというような日も。
早番や遅番の関係上、班分けされていたので、本来なら周りの人の性格や(まかないやコーヒーに入れる砂糖やミルクの量などの)趣向などを把握するのも、基本的には自分の班の人だけで良かったのだが、同期の奴よりは倍の人数分把握しておく必要があった。
また、毎日早番で出ているとは言え、そこで働いている時間にやる業務内容も違うので、同期で入った奴と兄やんとでは、徐々に差が生まれていったせいで、いつも同期の奴との仕事のデキなどについて比べられていた。
毎朝早番のために、休める時間とかも少ないため集中できず、学校のことなどからくするストレス以外など、同期の奴とは明らかに環境が違うということなどの配慮がないというか、そこまで考えて指導する力がないため、そこでもストレスは積み重なる。
個人的なことを言わせてもらえば、兄やんはある程度できるようになるまでは人1倍時間がかかるので、陰でコソコソと努力をしているうちに、人よりもデキるようになるタイプだったのだが、陰でコソコソ努力をする余裕もないような状態だった。
飯休憩は朝、昼、晩と、それぞれ10~15分(すべての休憩を合わせても1時間もない)ほどしかなく、上の人(上司に当たる人)がタバコを吸い始めると、下の人間は、飯を食っていてもその手を止めて、灰皿を用意し、タバコに火をつけなくてはいけない。
しかも、仕事始めの日、終わってからそれだけのためにライターを買いに行かされた。さらに、灰皿を出し忘れたり、火の付け方が悪いと怒られる、というような理解し難い上下関係があった。
ただでさえ、しっかりしたホテルの調理場で料理する人間がタバコを吸うということ自体が、兄やんにとっては大きなアレルギー反応を示す要因にもなっていたので、「なんでそこまでやらんなあかんのじゃ!」と、余計にストレスが溜まる一方。
そんなことに慣れているハズもないので、こころ休まるハズの飯休憩さえも、タバコと灰皿のこととかが頭に入り、休憩している気分にならなかった。
確かに、仕事内容自体は、勉強にはなった。
しかし、「こうやった方が効率がいいのでは?」とか「これはこうした方がもっと良くなるんじゃないか?」と言った提案は、詳しく話しを聞くこともなく、ことごとく突っ返されてしまう。
また、小・中・高とよほどの理由がない限り(病院に行ったり、事故にあったり)、遅刻することのなかった兄やんも、さすがにそんな環境におかれたので、何度も寝坊で怒られた。兄やんは責任感が強かったので、寝坊して怒られることよりも、自分の中で「遅刻した」という事の方がより大きなストレスになった。
そして、眠らずに仕事をする日が多かったので、たまに部屋で寝た日は、必ずと言って良いほど遅刻をするようになる、という悪循環に陥る。
もちろんそんな状態で、学校の授業もまともに聞ける状態のハズもなく、座るという楽な姿勢になれば、自分の意志とは裏腹に、数分後にはもう眠ってしまっていた(ちなみに、普段の生活で座るのは飯休憩の時か、仮眠をとるときくらい)。
さらに、ストレスが原因と思われる、今まで経験していなかったような体調不良も重なり、このまま続けていくことの意味が完全に失われつつあった。
そして、兄やんにとって、決定的に嫌にさせた出来事は、兄やんが休みの日に新人歓迎会を勝手に開いたため、せっかく久々の息抜きに高校の友達と焼き肉を食べて、久しぶりにワイワイ楽しくやっていたのに、始まってスグに仕事場に戻らなくてはいけなくなった、という出来事があった。
友達と遊んでいるのを切り上げてわざわざ戻ってきたのに、普段着(特に奇抜な格好をしていたわけでもない)で仕事場を通ったら、
「そんな服装でいくのは良くない」
だとか注意され(特にグラサンを注意された)、
「遊んでたのを切り上げてきたんやから、んなもんしゃーないやろ!」
と思いながら、嫌々その歓迎会の行われる場所に連れて行かれた。
着いてスグ、一番偉い総料理長の横に座らされ、相当気を遣わさせられながら、既にある程度腹がいっぱいだったのに、飯を食わされ、歌う気分でもないのに歌を歌わさせられた。そして、楽しくもないのに(楽しくない酒は飲まない主義)せっかくの久々に楽しいハズの、ストレスを発散できるハズの休日に水を差されたのだった。
入って1ヶ月ほど、そんな感じの精神的にも肉体的にも疲労が蓄積される状態が続き、このまま続けていても迷惑をかけるし、自分も本来やりたい学校での勉強ができないので、辞めさせてくれるよう懇願した。
こころの中では、
「こんなバカバカしいことをいつまでもやってられるか!」
と思いもあったが、さすがにそんな理由を伝えたところで、辞めさせてもらえそうになかったので、辞めさせてくれそうな理由(ウソじゃない)だけを選りすぐって申請した。しかし、応対した責任者(学校の人間)は、「ちょっと待ってくれ」と先延ばしをするだけで全く取り合ってくれなかった。
家族にもそのことを相談したが、おとんは「それは5月病だ」とか、「今頑張って乗り越えたら、あとから絶対ためになる」とだけ言い、兄やんがどういう状況におかれているのかも理解しようともせず、兄やんのこころの叫びに耳を傾けようとはしなかった。
しかし、兄やんの限界は刻一刻と近づいていた。その日も、仕事が終わってから人気(ひとけ)のない池のそばのベンチで(仕事場の人間に会いたくなかったから)、池の亀をぼんやりとながめながら、ビール片手にチョコレートを大量に食べていた・・・。
コメント (2)
こ・こ・こんなひどい世界がこの世にほんとにあるのかっ!
よくぞ無事で帰還できたものです。
あまり我慢しない!
がんバラない!
怠けるっ!
ってひつよー。
投稿者: 追立 征子 | 2008年05月10日 19:44
日時: 2008年05月10日 19:44
▲追立征子さん
楽しい楽しい高校生活の後にコレだったので、さすがに耐え切れなかったですね。
まあ、今考えると当時の兄やんにも安易に進路を決めたようなところがあったのですけど・・・(苦笑)。
投稿者: 兄やん | 2008年05月10日 23:37
日時: 2008年05月10日 23:37